“僕の言葉ではきっと君には通じない、君の言葉ではきっと僕には通じない”、という歌詞が煙の2番冒頭にある

 

 

 

 僕はお喋りが好きだ、人の話を聞くことは苦手だったけど最近は大好き、会話が大好きだ

 嬉しいことやイラっとしたこと気になったことはすぐに人に言ってしまう、報告してしまう、気になることも最近どう?と聞いてしまう、僕の中のコミュニケーションはこういうひとつひとつの積み重ねなんだと思う、子供だから 陰ながら、とか ひっそり、とかはまだ出来ない、嬉しかったら嬉しかっただけ言葉や感情や態度に出てしまうし悲しかったらすぐに拗ねる

 

 

 だけど他人同士、本当に分かり合えることなんてないことは22年間生きてきて嫌という程知った、本当に好きで一緒に暮らした人でさえ喧嘩をして分かり合えなかった、理解出来なかったし理解して貰えなかった

 きっと僕の言葉は僕にしか通じない言葉で、君の言葉は君にしか通じない言葉である、だから相手を思いやって相手のわかる言葉に変換してあげることが一番大事なのだと気付いた

 

 

 僕はまだ子供だから、それを出来ている方ではないけど、半分くらいは大人なのでそれをして貰っていることはすごくわかる、あー、自分のことを思いやってこの人は会話をしてくれている、とか

 きっと言葉が通じないということは、相手を思いやれるひとつの壁なんだ、この壁がなくなってしまったらもっともっと理解出来ないことが増えるんだろうな、理解しようともしないんだろうな、と感じる

 

 僕の言葉ではきっと君には通じない、君の言葉ではきっと僕には通じない、だけどこれからも沢山会話をしよう、という末尾が実は隠れている

 悲しい一文になりがちなこのフレーズが僕は大好きだ、この末尾が自分の中にちゃんとあるから

 

 

 

俺の気を使ってくれ、とか 俺をイライラさせないでくれ、とかじゃなくて、俺をちゃんとみてくれ、愛してくれ、気にしてくれ、そしてあなたの全てを見せてくれ、教えてくれ、と毎日思う

 

 それが家族だろうが恋人だろうが友達だろうがファンだろうが愛し合えるポイントは絶対にある、僕は歌を歌っているけどコミュニケーションはまだまだきっとその先にある、それを測れるようなシンガーになりたい