今日は卒業式ですか

 

 

 平日も週末も関係ない、毎日誠実に粛々と生きている、淡々とこなす、ではないけれど自分は自分をかなり全うしていると時々思う

 

 

 中国の空気は思ったより綺麗だったし日本よりもよっぽど過ごしやすかった、もう一年も前のことだと言うのが信じられない、毎日6時に起きて上海の街を散歩してた、上海の飯屋は朝の6時からやっている、カフェも露店も全部6時から、みんな働き者だった、みんな楽しく働いてた、疲れたら休んでフレンドリーで忖度のない関係性が一からあった

 

 

 関係性とはどこで繋がってどこで途切れるかわからない、ずっとそばに居たのに満たされて、ある日必要なくなったみたいに押し出されることだってある、自分と重ねて自分だと思って自分と照らし合わせていたけど紛れもなく自分じゃなかった、空気のように冷たいから取り残されたみたいに日常が普遍的に流れていくので何か特別なことをしたい、平成が終わる、季節が次の周回に入る、誰の都合でもなく自分の都合で人生を楽しめたら最高なのに、意外と 俺って”自分”ってあんまりないんだな〜と気付かされる

 

 

 東京にきて5年、結局まだ音楽をやっている、それまでの夢に挫折して何となしに始めた人生の息抜きみたいなものが人生になってしまった、それと同じで文章もまだ書いている、配信だってしている、いつかはヒットチャートに名前を載せたい、紅白だって出たい。それと同じで本も出したい、ラジオだってやりたい、続けることに必ず意味はあると思って続けている、あとは単純に好きだからしている。

 あまり夢をみすぎる人は諦めることも早いなと東京にきて感じた、胸を張って大きいことを言う人はいつかその大きいものに押し潰されて中途半端な結果だけ残して消えていったけど常に足元をみて目標を大事に大事に、だけど1つずつ成し遂げている人は必ず芽生えるか何かの運命を手繰り寄せて大成している、自分にはそれが足りないのかなと20歳の頃にやっと気付きそれから2年は謙虚にやってきた

 

 

 今年はそれ、をビンビンに感じている、成果が少しずつ肉付き始めている、人生を歩む、と言うことの重みを少し知った最近である

 音楽家が偉いわけじゃない、社長でもタレントでも俳優でも画家でも、主婦でもOLでもサラリーマンでもみんな人生を歩んでいる、他人が面白おかしく笑えるような人生はひとつもない、と気付いてからは他人に対しての入りが謙虚になれるようになった

 

 

春からどんな生活をするのか、夏には何をしてるのか、秋になって歳をひとつ重ねた時一番最初に誰に連絡を取るのか、一年の終わりはひとりでいるのか家族といるのか親友みたいな人が出来るのか恋人が出来るのか、何もわからない

 わからないから楽しい、と思えてたことも、すこし気が滅入ると、心が弱くなると、わからないから不安、になってしまう。身体もそうだけど、心も健康でいたい、明日も粛々と生きよう